アメリカンドリームはまだ生きていた!-次期米国副大統領カマラ・ハリス

副大統領カマラ・ハリスのスピーチ

米国大統領選はジョー・バイデンが勝利確定となってよかった。

私の子供の頃の憧れの国だったアメリカ、仕事現役時代を通じて超大国だったアメリカはいつのまにか内向きとなり格差と分断が広がった。トランプ大統領の出現でさらに分断が加速し尊敬できる国では無くなりトランプがアメリカを壊してしまったと感じていた。

けれども瀬戸際で米国民がバイデンを次期大統領に選びアメリカの民主主義は踏みとどまった。

バイデンと次期副大統領のカマラの勝利宣言を生で視ていてまだまだ「アメリカンドリーム」は生きていると嬉しくなった。

バイデン が副大統領になるカマラ・ハリスを選んだことは素晴らしい英断でまだアメリカンドリームが残っている証で 米国にまだ望みはあるかもしれない。
カマラ はインド移民の母親とジャマイカ移民の父親の2世で子供の頃に両親が離婚して母親に育てられた。

カマラは勝利宣言で「インド移民の2世の黒人女性でも初の女性の副大統領となれる」と子供たちへ米国の希望とバイデンへの感謝を述べていた。
カマラはまさにアメリカンドリームを体現している。

バイデンは来年78才の高齢だから万一のことがあればカマラが大統領になる。

カマラのスピーチはアメリカらしい人を惹きつけ共感を呼ぶ内容で歴史に残る勝利宣言になると思う。

 

カマラ・ハリスのスピーチの全文(日英併記)は次に掲載されています。
【全文訳】次期副大統領カマラ・ハリス、アメリカ大統領選2020勝利スピーチ

(一部抜粋)
女性たちこそ我々の民主主義のバックボーン
母シャマヤがインドからアメリカに来たのは彼女がまだ19歳の時でした。今このような瞬間が来ることを想像することは恐らくできなかったでしょう。ですが彼女は深く信じていました。アメリカでは、このような瞬間が実現できるのだと。彼女を想うと、幾世代の女性たちのことを考えます。この国の歴史の道のりをならし、今夜この瞬間を迎えさせてくれた黒人女性、アジア系、白人、ラテン系、ネイティブ・アメリカンの女性たちのことを。

When she came here from India at the age of 19. She maybe didn’t quite imagine this moment. But she believed so deeply, and in America, where a moment like this is possible. And so I’m thinking about her, and about the generations of women, black women, Asian, white, Latina Native American women who throughout our nation’s history have paved the way for this moment tonight.

(参考)
カマラ・ハリスの生い立ち (from Wikipedia)

 

ジョー・バイデンの勝利宣言もいつになく年齢を感じさせない力強いスピーチで「分断でなく団結を。アメリカは誰にでも可能性がある国だ。それを信じて欲しい。」を強調し次期米国大統領らしい内容で希望が持てるスピーチだった。

ジョー・バイデンのスピーチの全文は次に掲載されています。
次期大統領ジョー・バイデン、アメリカ大統領選2020勝利スピーチ

(参考)
ジョー・バイデンの生い立ち (from Wikipedia)

ケネディ大統領と初の日米衛星テレビ中継

アメリカ大統領の就任演説で有名なのは1961年に43才の若さで第35 代合衆国大統領になったジョン・F・ケネディ大統領だ。
「国家が諸君のために何ができるかを問わないで欲しい――諸君が国家のために何ができるのかを問うて欲しい。我々が人類の自由のために共に何ができるのかを問うて欲しい。」のスピーチは有名になった。
私が中学生の時でアメリカという国に若い清新なイメージを植え付けられたものだ。

しかし、そのわずか2年10カ月後の1963年11月22日にケネディはダラスで凶弾に倒れた。
その日は「日米の初の衛星テレビ中継(動画あり)」が予定されていて、私は高校2年生で朝5時に母親に起こされて眠い眼をこすりながら今か今かとアメリカからの初のライブ放送が始まるのをTVの前で待っていた。

ケネディ大統領のビデオメッセージが始まるはずだったが、アメリカから送られてきた初映像は何故か砂漠の映像だった。その後に紙に慌てて書いたくねくね文字の「アメリカ合衆国から特別のプログラムを送ります。」が映り、アナウンサーがアメリカから伝えた初のメッセージは「ケネディ大統領はダラスで凶弾に倒れました。この電波でこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念です。」という衝撃の内容だった。

日米衛星初中継のケネディ暗殺の第一報

その時、高校生だった私には驚きと上の画像のくねくね文字の記憶が鮮明に残っている。
今でこそスマホで世界中の出来事がライブで見られるが、今から57年前の日米初の衛星中継の成功は画期的な衛星中継時代の幕開けの出来事だった。この初の衛星中継の成功で翌年1964年の東京オリンピックの全世界への衛星中継の実現につながった。
当時、アマチュア無線に熱中していた私はこのような通信のエンジニアになりたいと憧れたものだ。

しかし、歴史的な初の衛星テレビ中継の第一報がケネディ大統領暗殺の悲報だったことは、
アメリカという国は当時から一筋縄では理解できない国、移民の超大国家の表の輝ける面と裏の闇と分断のある国、日本の均質な国とは異なる良く言えば複雑で奥深い国だったのだ。

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