思い出す、ゆかりの人の悲報
古希を過ぎたせいか、ゆかりの人の悲報を折に触れて思い出します。
定年退職した2007年、私の「同期の友」と「元ボス」の逝去の報に相次いで接した。
訃報に接した時はまだ私は60才で、それ以前には母親の死や義父の葬儀に立ち会っては来たが、まだ、自分の年代の死については、現実感がなく遠い先のことと思っていた。
まして、自分にゆかりのある人の訃報に、親の死の時とは違う何とも言えない無常観と動揺を感じた。 お二人とも「ガン」で59歳と64歳という若さだった。
のんびり屋の私だが、“「死」は決して遠くはなく、いつ近くに来て、いきなり顔を出すかもしれないのだ”と感じざるを得なかった。
同期の友:N君
「同期の友:N君」は、新入社員の寮仲間を通して故郷が同じ愛媛ということもあり親しくなった。
人好きで周囲を楽しくさせ、遊び上手・話し上手で人を引きつける魅力があった。
チャレンジ精神のある人間で、入社後暫くして、飽き足らなくなったのか、あっさりと外資系大手コンピューター会社に転職した。
その後、外資系IT会社を何社か経て、最後は外資系ソフト会社の社長として奮戦していた矢先だった。
思い出すのは、まだ20代前半の独身のクリスマスの日、田舎出の私が調布の飛田給の3畳半のアパートでくすぶっていると、アパートの前に車で乗り付けて(当時、車を持っている20代はまだ少なかった)、部屋の戸をガラッと開けるなり、いきなり「これから教会のミサに行こう!」と言って連れて行かれた。
彼はクリスチャンだったが、私は教会に行くのも初めて、神聖なクリスマスの雰囲気を味わさせてもらった。
厳かなミサの帰りに「どう、教会のミサはいいだろう?」と得意気に私の顔を覗き込んだ彼の笑顔が忘れられない。
社交的で引き出しも多い人間だったが、仕事の現場での彼は知らない。 彼の口から仕事の悩みなど一度も聞いたことはなかった。
しかし、3年間もガンと苦闘していたのを、おくびにも出さなかった彼だから、あるいは、外資系社長としての重圧に仕事人間であり過ぎたのだろうか?
亡くなる1年ほど前から、彼から若い頃の我々仲間に飲み会の誘いが掛かることが多くなった。最後の飲み会は銀座の彼の行きつけの生バンド演奏のクラブで盛り上がった。
飲み会では酔っぱらっては彼の奥さんに電話し、携帯電話を我々仲間にたらい回しして奥さんと話をさせて喜んでいた愛妻家だった。
我々仲間は最後まで何も気づかなかったが恐らく死期が近いのを悟って昔の仲間に会っておきたかったのだろう。
彼の葬儀もまた教会で執り行われた。 同期の仲間と一緒に葬送の歌を口ずさんでいると思わず涙が滲んできた。
元ボス:T氏
「元ボス:T氏」は、次期社長とも目された東大卒のエリートで、颯爽としてスマートでカリスマだった。
彼の率いたパソコン事業が大きく花開き、社内でも稼ぎ頭になるに従って、益々、組織も肥大化し、影響力・ワンマン性も増していった。
彼は、ある意味で人に惚れ込みやすく、かつ飽きやすかったのかもしれない。
社内外の多くの人材が彼によって登用され、新組織が作られ、かつ、時代の流れとともに使い捨てられていったような気がする。
私もその中の一人だったと思う。
しかし、ITバブルがはじけた頃より、そのパソコン事業が稼ぎ頭から一転して苦境に陥った。 海外のビジネスも撤退せざるを得なくなり、国内でもリストラで工場売却や組織再編が頻発した。
組織は時代の流れに抗し難く、かつ変わっていかざるを得ないからリストラも止むを得ない。 「元ボス」はカリスマだったが故に弱さを見せられなかったのかもしれない。
その孤独な苦闘は並大抵ではなく、寿命を縮めてしまったのだろうか?
彼はよく会議の席で怒鳴ることが多かった。 決断する材料が欲しかったのか、彼流の想定結論にそぐわなかったのか、怒りが収まるまで顔を上げられなかった。
また、曖昧な報告だったりすると、直ぐに「あいつを呼んでこい」とか「電話を掛けて確認しろ」とか「1時間後に調べて持って来い」などと言われるのが常だった。
仕方なくその場で電話をして、「相手が不在です」と言うと一旦収まることも多かった。 彼も嘘と分かっていながら矛を収めていたのかもしれない。
しかし、彼は優しいところもあった。 アメリカのボストンにパソコン子会社があり、当時海外パソコンを担当していた私は、初めて元ボスの海外出張にお供をした。
シカゴ乗り換えの長旅でボストンにつき、出迎えも遅れ元ボスはお冠りでやっとホテルにチェックイン。けれどもホテルの部屋で寝酒に付き合えと呼んでくれた。寝酒の別れ際に「時差があり眠れないだろう、この睡眠誘発剤は胃に優しいから飲め」と渡された。
そのような瑣末なことを思い出す。
エリートの彼なのに安物のプラスチックの赤ボールペンがお気に入りだった。
そのアンマッチが妙に新鮮だった。
彼に出したレポートはその安物の赤ボールペンでコメントや指示をなぐり書きして、秘書に持ってこさせるのが常だった。
流れるような、それでいて威張ったような特徴のある字だったのを思い出す。
恐かったがなんとなく好きな元ボスでした。
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お二人とも、人を引き付ける魅力的な人物でした。 このような人ほど命を早く燃え尽きさせるのだろうか。
幸いにもなんとか大病をせずに今まで長生きしている私。いづれ来る最後を考えさせられます。