髪結いの亭主と坂の上の雲

髪結いの亭主とモールス信号

随分久し振りに「髪結いの亭主」という言葉を耳にした。

最近は、歳をとったせいか、子供の頃の断片的な記憶をちょっとしたきっかけで思い出すことが多い。
私は小学校の6年生頃だったか、「髪結いの亭主」にモールス信号を習っていたことを思い出した。もう60年近い前のことだ。

その頃、私はアマチュア無線(ハム)に興味を持ち、ツートツートのモールス信号も覚えたくて、多分、母親にそのようなことを言ったのだろう。
そのうち、母がどこからか、モールス信号の家庭教師を連れてきて、毎週自宅で1時間ほど習うことになった。


そのモールスの先生は40歳代だったか、「髪結いの亭主」で仕事はなくブラブラしているので喜んで家庭教師を承諾してくれたのよ、と母が言ったので、「髪結いの亭主」って何?
と聞くと「奥さんが髪結い(パーマ屋さん)で稼ぎがあるから働かなくてよいのよ」ということ、奥さんの「紐(ひも)」という言葉もそのとき知ったように思う。

なんでも海軍で無線を担当していた人で太平洋戦争の生き残りだそうだとも聞いて、子供心に憧れも感じた。 そのモールスの先生は穏やかな人だったが、今は名前も顔も思い出せない。

モールスは腕は動かさないで手首で打つのだよ」と教えてくれた記憶だけが残っている。 

その時に「髪結いの亭主」という楽な男の生き方もあるのかと思った。(否、もっと後で思ったのかもしれない。)
何か甘酸っぱい言葉の響きを感じた。 まだ、戦後を引きずっている時代で、そのような生き方が大っぴらに許されたのかもしれない。

モールス先生はどのような人生観を持っていたのだろうか? その後、どのような人生を生き抜いたのだろうか?  ぼんやりしていた子供の私には分かりようがなく、ただ優しく大人しい印象しかなかった。

自分が歳を経た今になってやっとこんな思いを持つとは、人生の年輪とは皮肉なのか巧くできているのか。

坂の上の雲

何年か前、帰省した折、松山市の「坂の上の雲ミュージアム」を初めて見学した。 

司馬遼太郎さんの歴史小説「坂の上の雲」で明治維新を成功させて近代国家として歩み出し、日露戦争勝利に至るまでの勃興期の明治日本を描いた小説で、松山出身の秋山兄弟や正岡子規を主人公とした物語です。

坂の上の雲ミュージアムは、この歴史小説「坂の上の雲」にまつわるさまざまな展示物があります。

展示物のなかに、音が出る練習用モールス電鍵(「でんけん」と言います。:写真参照)があり、懐かしくなり自分のハムのコールサインのモールス信号を叩いてみた。

頭ではモールス信号は覚えているのだが、モールス先生に習い覚えた筈の手首の柔軟さは失われモールス信号にならなかった。 情けないが歳のせいか!?

 -・-・(ツートツート) --・-(ツーツートツー) ・---(トツーツーツー) ・-(トツー) ・・・・・(トトトトト) ・-(トツー) ・・・(トトト) --・(ツーツート)
(私のかってのハムの呼び出しコールサイン: CQ JA5ASG)

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「坂の上の雲」に想う。

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