パソコンの生産革命:PC-98BTOの事始め(第2章-1)ー少種大量生産時代

Windows95以前のパソコン工場の様子 

今回ふとしたきっかけで昔の仕事仲間から定年退職直前まで担当していたBTOプロジェクトの思い出を共同で書かないかと誘われました。実は70才になったときそれまで続けてきた路地歩きのブログをやめました。デジタル遺産の整理のつもりで筆を折った次第です。ということでお誘いには躊躇したのですが・・・。

結果としては短期間ですが7~8年ぶりに活動を再開することにしましたので宜しくお願いします。

さて、1995年秋Windows95が発売され、飛躍的にパソコンの販売が伸びた頃で、当時はまだデスクトップパソコンがノートパソコンより販売量もモデル数も多く、パソコンの主流でした。1996年にデスクトップパソコン開発・生産の主力工場だったNEC群馬工場に転勤になりデスクトップパソコン生産の仕事にどっぷり浸かることになりました。

①当時はまだ主流はデスクトップパソコン

デスクトップパソコン本体はプリント基板に電子部品を実装したマザーボードというユニットを筐体(シャーシ)に組込、さらに電源・ハードディスク・フロッピーディスク・CDやメモリボードといった汎用的なユニットなどを組み込んで完成されます。さらにキーボードやモニターが組み合わされてデスクトップパソコンとして販売されます。モニターは当時、図体の大きいブラウン管が主流の時代でした。

②パソコンの生産ラインの構成
・マザーボード組み立てライン
・装置組み立て(ファイナルアッセンブル)ライン

マザーボード組み立てライン
電子部品は部品形状が比較的標準化されており、抵抗・コンデンサ等ラジアル部品は高速インサーションマシンで半導体部品などは表面実装高速機(サーフェイスマウンタ―)を連ねてライン化され、高額な設備投資が必要で設備産業的なラインでした。

装置組み立て(ファイナルアッセンブル)ライン・・BTOとともに形をかえ国内で生き残ってゆく
マザーボードと電源、ハードディスク、CDなどを筐体に組み込み梱包する最終組み立て(ファイナル アッセンブル)ラインは伝統的な量販製品生産ラインたるベルトコンベアラインで構成されるのが普通でした。
このラインの肝はコンベアラインの作業者に如何に部材を届ける(配膳するといいます)かです。デスクトップパソコンは部材が大きいので配膳の方式が大きな効率差を生み、各社工夫を凝らしたものです。

群馬の工場ではパソコンで制御された自動倉庫と組み合わせ人手を介さずに部材を作業者の元に届ける方式を採用していました。倉庫を保管場所としてではなく,配膳センターとしての位置づけです。またカバー取り付け等に当時は珍しかった組み立ロボットも売れ筋モデルのラインには採用しました。このラインが工場の見せ筋でした。 

パソコン組立ロボット

 

もう一つの魅せ筋:TV映りの良い売れっ子モデル:TVニュース画面「NEC群馬工場パソコンフル生産!」
当時パソコンの販売好調などいうTVのニュース画面で、よく登場したのがNEC群馬工場のマザーボード生産ラインのほぼ無人で電子部品を高速実装するマウンターでした。

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