伝説のパソコン:98FELLOW物語(5)ー金科玉条の「互換性」
金科玉条の「互換性」
以前の記事にPC98が国民機と言われるまでに浸透した理由の1つとして
・PC98で動くアプリケーションソフトや拡張機器の豊富な資産の蓄積、
その資産を維持し拡大するために
・旧型機との徹底した互換性の維持をポリシーとした
ということを書きました。
「互換性」の維持とは、例えば、新製品で機能・性能を上げたとき(386CPU→高性能な486CPU採用、VGAのグラフ・アクセラLSIを変更、新インターフェースの採用など)に、
それ以前の旧機種で使われていたアプリケーションソフト(一太郎や松、ゲームソフトなど多数)や各種拡張機器(NEC純正オプションやIOデーター、メルコなどのサードパーティの増設メモリー、増設HDDなど)が、問題なく使えるという意味です。
ユーザーにとって何より大切なことであり、スムーズに新製品を購入してもらうためには、まさに「互換性」の維持は金科玉条でした。
企業ユーザーでも、パソコンの1人1台の導入が進み始めた頃であり、システム増設やリプレースの時に、この「互換性」の安心度はパソコン機種の選択の重要なファクターです。
98FELLOWはスカスカだった!?
機能性能面だけではなく、外観形状やコネクターの配置場所に至るまで、新製品の仕様決定に際し、「互換性を損なわないか」を異常なまでに配慮をして決定をしていました。
例えば、新シリーズの98FELLOW、98MATEの外形寸法は、旧機種のPC-9801FAの外形寸法:(W):380 (D):335 (H):150 に合わせて変更していません。
これは外形寸法を変えると、ユーザー先で今までのパソコン収納場所、スペースに入らなくなることを恐れたからです。
PC98シリーズの特徴だった前面にKBコネクター、マウスコネクターを配置するのも、DOS/V機のように裏面に配置するよりもコスト・アップになりますが、互換性第一で「前面配置」を頑固に踏襲しています。
98FELLOWはリリースした後の雑誌記事やユーザー意見などで、「パソコンの中を開けて見るとガラガラ、スカスカだ、もっと小さく作れたはず」と言われましたが、背景には前記のような「互換性」維持の理由がありました。
意図していませんでしたが、パソコンマニアには98FELLOWはスペースに余裕十分で増設しやすい、アップグレードに意欲を燃やせるマシンとなったようです。
●98FELLOWの実質開発期間=[開発Goから出荷開始までの期間:14W]-[5千台作り溜め時間:2W]-[互換性評価時間:4W] =8Wしかありません。
PC98の多くのソフト、拡張ハード、周辺機器は1000種類以上もあり、この互換性評価には、NECは多大なコストと時間を掛けていました。
主要なソフトハウス(ISV:Important Soft Vendor)と拡張ハードベンダー(IHV:Important Hardware Vendor)の数10社には、量産相当の量産先行機(PP機:Pre Production)を配り、ISV&IHV側にも互換評価をしてもらっていました。
NECもISV&IHV側も、双方にとってメリットが大きかったからです。
(今で言えば、マイクロソフトのWindowsの新バージョンのβ版を主要ベンダーに配布して評価してもらうイメージと考え方は同じです。)
互換性評価には当時1ヶ月程度かかっていましたから、出荷の1ヶ月前には100台規模の量産先行機をISV、IHVや社内ソフト部門にリリースする必要があり、開発サイドにとっては、更に実質的な開発期間を狭められるインパクトがありました。
しかし、この互換評価は新製品の完成度・信頼度を上げる重要な仕組みでした。
ISV&IHVや社内互換評価グループからの問題発見数やその不具合内容の傾向によって、その新製品の完成度やどこら当たりの設計が弱いかのヒントにもなったからです。
更に、ISV&IHVさんから新製品の評判なども聞けて、マーケティングの一環としても役に立っていました。 この「互換性評価の仕組み」が98シリーズの組織力の強みの1つだったと考えられます。
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