伝説のパソコン:98FELLOW物語(12)ー内外価格差の誤解

【閑話休題】

 

パソコンの黒船 “コンパック・ショック”の裏側
 
92年10月に$1000パソコンを引っさげて日本で販売開始したコンパックは、その低価格の衝撃や世界一のPCメーカーの日本上陸などの意味をこめて“コンパック・ショック”とも揶揄されました。
 
 
しかし実はその裏側には、当のコンパック自身が北米のPC/AT互換PC市場で、当時急速に台頭してきた台湾メーカーやDELLなど直販メーカーの低価格参入で、ビジネス・ショックを受けた結果の一大方向転換だったのです。
 
 
コンパックの成り立ちは、半導体のTIの技術者だったロッド・キャニオンが仲間2人と82年に立ち上げた技術志向が強い会社で、インテルが85年に32ビットCPU(i80386)を出したときも、IBMに先駆け採用しPC/AT互換機市場をIBM以上にリードした、どちらかというと、ハイテク志向、高価格だが高性能、信頼性を売り物にする会社でした。
 
 
当時、我々の事業部は北米でPCのビジネスもやっており、「APCシリーズ」という海外向けPCの開発を日本と北米のボストンにあった現地法人と連携して開発していました。 その関係もあり、コンパックの新製品はいち早く取り寄せて、「ティア・ダウン」という分解調査をやっていたことを思い出します。
アメリカ人好みの、がっしりした頑丈な大きなケース(シャーシーとも言う)の手触りだったなー、アメリカ人はやはり大きいのが好きだなと思ったものです。 
 
しかし、91年以降のアメリカの不況によるパソコン需要の大幅な落ち込みや、前述の低価格の台湾勢や直販メーカー勢にシェアを喰われて、コンパックは苦境に陥り92年にロッド・キャニオン社長が更迭され、新社長エッカード・ファイヤー社長のもとで一転して、「薄利多売」に一大方針転換し、欧州や日本にも本格進出することとなったわけです。
 
 
「薄利多売」のビジネス・モデルは、その名のとおり大量の販売規模を維持しながら現行製品を売れ残らないように売りさばき、かつ、新製品を出し続けることを迫られます。
従って、コンパックが低価格路線へ転換するに際して、より大きなパイを必要とし、日本やヨーロッパ市場獲得は必須の前提条件だったのです。
 
 
●問題提起:薄利多売のビジネスは長くは続かない!?

 

PC業界の変遷を長く見ていて思うのは、価格競争に入り込んだビジネスや低価格だけでシェア拡大を狙う企業やビジネスモデルは、一時的には花形になるがほとんどが長くは続いていないということです。

 
薄利多売のビジネスは長続きしない
 
 
PC業界以外でも同様な例が多い。 
単に価格だけではない「+αの何か」が長く存続できる鍵のようです。 そこがなかなかに企業トップも見極められない。 
 

内外価格差の誤解

 

当時、コンパック・ショックで良く言われたのは「日本のパソコン価格はコンパックの2倍も高い」というフレーズでした。PC98の開発に関わった者としては、「2倍」というのは誤解があったことをここで反論しておきたいと思います。(今更ですがーー)

(理由1)標準価格と実売価格の違い
今は日本では「オープン価格」(メーカーが標準価格を設定しないで各販売店で実売価格が見える)が当たり前となりましたが、当時は、国内では標準価格(LP:List Price)を設定し、新製品リリース通知やカタログにも書いておくのが一般的でした。
一方、北米では標準価格ではなく、「推定実売価格」(ESP:Estimated Street Price)でアナウンスするのが主流でした。

92年10月に発売されたコンパックの最安値モデルProLineaの表記されている価格は12万8千円、これは前記の店頭価格相当なのです。
一方、92年のPC98の最安値モデル(エントリーモデルとも言った)はPC-9801USで標準価格が24万8千円でした。

当時、標準価格×(70~75%)=店頭実売価格 だったと思います。 従って、17万4千円~18万6千円が9801USの実売価格ですから、ProLineaとの実売価格差は2倍もあるわけではなく、1.36倍~1.45倍程度の価格差というのが実態でした。この辺りの実情はマスコミでも誤解が多かったと思います。

それにしても、価格差は非常に大きく、価格の点だけで選択されるとインパクトが大きいと我々は危機感を抱きました。

(理由2)エントリーモデル以外はそれほど安くはなかった。
とかく破格値の12万8千円ばかりに耳目があつまりましたが、コンパックは戦略的にProLinea386SX/25Mを見せ玉として安く値付けし、ミドルレンジ~ハイエンド機やノートPCも同時に投入しましたが、上位モデルやノートPCはそれほど安くはなかったのです。

ちなみに、コンパックの上位モデルの486SX/66MHzモデルは43万8千円で、92年当時のPC98シリーズの486機はPC-9801FA(486SX/16M)があり、標準価格が45万8千円で、CPUスピードは大きく負けていますが、先ほどの実売価格=標準価格×約70%のことから、実売の絶対価格は9801FAの方がよほど安くコンパックの上位モデルやノートPCは脅威ではなかったのです。

ローエンド(エントリー)~ミドル~ハイのモデル別の市場セグメントで見れば、ローエンドのセグメント(のみ)が脅威という状況でした。

しかしながら、黒船コンパックが、Windows3.1のGUI(グラフィック操作インターフェース)の良さと相俟って、その後のDELLやGatewayなど外資系DOS/Vメーカーの日本参入、富士通やエプソンなどの国内勢のDOS/Vシフトを加速し、日本のパソコン市場にPC/AT互換への流れの扉を開き、コンパックショックが価格競争が始まる呼び水となった大きな転換点だったことは間違いありません。

(参考)DOS/Vとは?
IBM社が発売したPC/AT互換機用のOSであるPC-DOS/Vのこと。1990年に日本IBMによって開発された。
日本語フォントを表示する専用の
ハードウェアを利用せずに、ソフトウェア的に日本語を扱う機能を持つ。そのため、米国で一般的に使用されていたPC/AT互換機でも日本語を扱うことが可能になり、DOS/Vを組み込んだPC/AT互換機(DOS/Vパソコン)が広く利用されるようになった。なお、DOS/Vという名称は、画面をVGAで表示することに由来する。

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