伝説のパソコン:98FELLOW物語(17)ー5千台の作り溜め達成、いよいよ工場出荷開始!

いよいよ工場出荷開始!

98FELLOWの開発プロジェクトは黒船パソコン迎撃のミッションを受け、92年10月末から12月末までの超速開発2ヶ月間を熱気に浮かされたように一気呵成に走り続けました。 

 
 

(98FELLOWの下位機:PC-9801BX。486SX 20MHzを搭載)

98FELLOW上位モデル、PC9801BA

(98FELLOWの上位機:PC-9801BA。486DX2 40MHzを搭載)

 

師走も押し迫りクリスマスのジングル・ベルが華やかに流れていた頃に、ギリギリで量産移管判定会議に間に合わせて何とか「量産移管GO!」となりました。

 

量産移管判定会議とは、
前記の互換性評価結果レポートや開発部の各種評価レポート、
生産部隊の生産性評価レポート、特別検査結果、VCCI(他の通信機器悪影響を及ぼす電波の規制)やノイズ、温度耐力試験などの環境評価レポート、
意地悪テスト(意図的に異常な操作の組み合わせをやる)、安全性評価などの各種レポートを元に、
信頼性品質管理部が第3者的立場で量産移管Go/NoGoの審査をする大きな関門でした。


この判定会議には未解決の技術問題はゼロにしておくことが合格の前提条件です。

従って、判定会議の前の10日間は徹夜作業の連続となって、多くのメンバーが実験室で朝焼けを眺めてから、ひと時の仮眠に帰る毎日の繰り返しでした。

(余談になりますが、技術部のグラフチームのキーマンの親御さんから、「うちの息子は毎朝、朝帰りするがいったいNECはどうなっているのだ!とクレームが入りました。すぐに親御さんに会いに行き背景を説明しもう少しで終わりますのでと平謝りし、なんとか了解いただいたことを思い出しました。)


前日なってソフト部隊から互換性評価での新たな間欠障害の申告を受けて焦ったものですが、それも優秀なメンバーが短時間で片付けてくれてほっとした記憶があります。

 

量産移管判定会議に必要な生産部隊の生産性評価レポートについても、
例えば、生産性の改善についても量産先行機で生産の直行率(良品率)を上げるために細かい改善項目を列挙して、改良をすぐに設計に反映していきました。

マザーボードではIC、LSIの半田付け不良が直行率を落とす大きな要因の1つでしたが、プリント基板でLSIなどの部品と基板を半田でつなぐ「パッド(半田を乗せる小さな島)」の形状がLSIのリード線の形状に最適化されていないと、半田上がりが良くなく接続不良が起きたり、またパターン配線がパッドの近くにありすぎるとパッドとパターン間で糸状の半田ブリッジが起きたりします。

このようなきめ細かい改善を生産技術部隊と連携して直ぐにプリント基板の改版をして、手配変更を資材部に指示します。

そうしないと、不良落ちが多発して2Wで5千台の98FELLOWの作り溜めができないからです。 なおかつ、不良品の手直し工数、ロス費用が多大となってしまいます。

単純に2万台生産で生産不良率が10%と悪ければ、実に2000台もの不良落ち品の手直しをすることになります、手直しできない物は廃棄することとなり、大きなロス費用が発生します。

また、装置組立性についても、1つの生産ライン当たりの生産能力目標(生産台数/日の目標台数)が決められています。 例えば、1ライン生産能力:800台の目標に対して装置組立性をきめ細かく改善して、ライン生産実力を900台まで上げることができれば、1台当たりの組立・検査費は目標800台/実力900台=88.9%で効率化でき大きな原価低減をすることができます。

98FELLOWは余裕のあるシャーシースペースであり、1枚のマザーボードに全て入れ込むコンセプトとしたことなどから、組立て易く、ねじ締め、ケーブル接続もやりやすく組立性改善に大きく寄与しました。

以上のように、量産移管までに生産性改善を満足できるレベルまでに上げて、製造部へ量産移管(量産GO!指示)ができました。

当時の製造部(OA部)のK部長の指揮下で、NEC新潟の生産ラインと協力工場の生産ラインも含め、3シフトのフル生産の繰り返しにより、なんとわずか2W後の1月10日頃には、5千台の作り溜めを予定どおり達成しました。新商品の発売に向け準備万端整いました!

いよいよ、98FELLOWの正式発売開始日(93年1月17日)の1W前から、98FELLOWを満載したトラックが続々と日本全国の主要販売店に向けて工場から旅立っていきました。

その後、1月の「初ロット2万台」生産の事業部要求は、当時のNEC新潟の生産能力をオーバーしている厳しい目標でしたが、協力工場の頑張りもあり最終的に2万台の目標を達成しました。

 

Column 98Mate担当のNEC群馬は正月返上で頑張った!

98FELLOWの上位モデルの98MATEの開発・生産を担当していたNEC群馬も93年1月17日の発表出荷開始に向けて作り溜めで大車輪で動いていました。

Windows対応の98MATEは98FELLOWに比べて部品点数が多く、かつ、作り溜め段階で改造が必要となり、発表日までに必要とした作り溜め台数が、どう頑張っても確保できないと、12月も半ばになって赤信号が灯り、事業部に緊急アラームが上がりました。

前にも述べましたが「納期は神様」です。
既にカタログ印刷や大手量販店への新製品のリークなど始まっており、発表準備は着々と進んでおり、2OA事業部としては発表は延期できず、作り溜め台数は絶対確保する必要がありました。

大々的に新シリーズ:98FELLOWと98MATEを発表・宣伝したのに全国の量販店の店頭に飾られず、売るものがないでは大失態です。新製品がうまくテイクオフせず失速しかねません。

そこで2OA事業部長の大号令が掛かり、事業部の幹部を始め多くの事業部人員がNEC群馬に応援派遣され、NEC群馬と事業部の応援メンバーが一体となって作り溜め台数を増やすことになりました。

NEC新潟と同様に「黒船パソコン撃退!」のミッションに事業部もNEC群馬も燃えていました。
総力戦・人海戦術で正月も返上して作り溜め台数を積み上げていき、なんとかぎりぎりで発表日前に全国の量販店に出荷を開始することができました。

事業部のある幹部の思い出話がその時の奮戦ぶりを物語っています。
「12月中頃から私も群馬に行きっぱなしとなり、正月の初日の出をNEC群馬の管理棟と生産棟の間の渡り廊下で仰ぎ見た記憶があります。
いずれの開発生産も当時は大変苦しい状況でしたが今となっては懐かしい限りです。」

 

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