伝説のパソコン:98FELLOW物語(18)ー黒船パソコンを撃退す!

黒船パソコンを撃退す!

93年1月17日に98FELLOWはいよいよ発表・販売開始の運びとなりました。

98FELLOWシリーズは上位シリーズのWindows対応の最新スペックを満載した98MATEシリーズとともに大々的な宣伝が行われました。

 

98FELLOW、98MATE新発売、速さは力

 

海外パソコンのDOS/V機との対抗を意識したCMの「速さは力」のキャッチフレーズが新聞やTVに流されました。 

(98MATEは当時の最新・最高速の「i486DX2-66」を採用し、
Windows対応のVGA256色グラフ搭載、かつ、
DOS画面のスクロールはハード・サポートの98アーキテクチャの方が断然に早かった)

伝説のパソコン98FELLOW、新商品発表

98Mate、PC9800シリーズ

 

新製品は発売の数週間前から、主要な量販販売店に新製品情報がリークされて販売店側の評判・感触や仕入れ見込み数などの情報が入ってきます。

 

92年10月から日本上陸した黒船パソコン(コンパックProLineaなど)は93年の1月時点までは販売実数としてはそれほど大きくはなく、取り扱っている販売店の数もまだ限定的で実質的なインパクトはまだ少なかったのですが、
何といってもマスコミで「コンパック・ショック、日の丸パソコンの危機」と大々的に報道され、一般にPC98への実体以上にマイナスイメージが広がり出していました。

 

そのような状況でNEC営業部隊やPC98をメインに扱っている量販販売店にとっても、PC98は遅れている・割高というイメージを払拭できる「破格の低価格DOSモデル:98FELLOWシリーズ、DOS/V機を凌駕する最新スペックのWindowsモデル:98MATEシリーズは売れる弾として大きな期待が掛かっていました。

 

当時、新製品発表のイベントやメディア対応、量販店対応はNEC本社の田町の「応用技術部」が取り仕切っていました。
93年1月17日、いよいよ98FELLOWと98MATEの新製品発表の日です。

2OA事業部のT製品技術部長のもとへ、新製品発表を終えた応用技術部のA課長から、
「98FELLOWと98MATEのデモンストレーションも上手く行き、多くのメディアが参加し大盛況で注目度も高く大成功でした!」
と一報が入りました。

T製品技術部長から直ぐに、「新製品発表が無事終わりました。大盛況で、それまでの苦労が報われ涙が出る想いでした。ご苦労様でした。」と私へも電話が入りました。
早速、NEC新潟の幹部、技術部メンバー、OA部、資材部にも報告し喜びを分かち合いました。

新製品発表の後、98FELLOWと98MATEシリーズは大好評で迎えられ、新製品の認知度・関心も高く、販売の滑り出しは絶好調となっていきました。

 発売開始後の93年1月~3月の3ヶ月間の販売台数は併せて37万台の出荷を達成しました。

ちなみに、92年のNECのパソコン販売台数は117万台、93年の販売台数は132万台と大幅な伸びを見せました。

余談ですが、98FELLOWは1993年のGOOD DESIGN AWARDも受賞しています。

このようにして、黒船パソコンとの第1次対決はその日本市場への侵入を最小限に食い止めて大成功に終わりました。 

98FELLOWの開発プロジェクト・メンバーや生産部隊もそのミッションを達成し大きな喜びと安堵感を感じていました。

 

 

しかし、後から考えるとこの「93年1月が日本のパソコン市場が実質的に開国して、それからの長い大競争時代の幕開けとなった重要な転換点」でした。

 

それは、この93年1月をきっかけにして、低価格化の流れがさらに加速、Windowsの出現によるソフト的に漢字障壁を乗り越えてPC98アーキテクチャーの強みが徐々に消失。

第2の黒船とも言えるDELLが93年1月に日本市場に新たなビジネスモデルの「直販ビジネス」で参入、
Gatewayの日本上陸など多くの内外PCメーカーが新規参入、その後のWindows95によるDOS時代の終焉、WINTEL(OSはマイクロソフトのWindows+CPUセットはインテル)の寡占化の始まり、などの大きな転換が始まったからです。

 

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