伝説のパソコン:98FELLOW物語(19)ー2代目98FELLOW:更なる低価格化を目指して

更なる低価格化を目指して

 

93年1月の初代98FELLOW、98MATEによる黒船パソコンの撃退は一旦は成功裡に終わりました。
しかしながら、この93年1月を契機にパソコンは大競争時代の幕開けとなり、その後もコンパック、IBM、DELLなどの海外大手のDOS/V勢や富士通、エプソン、東芝などの日本勢との戦いが徐々に熾烈となっていきました。

 

パソコンの価格戦争はさらに強まり、パソコンの新製品は機能・性能は大幅にUPしつつ価格は大きく下がって行くというコストパフォーマンスが飛躍的に伸びる時代となっていきました。

 

初代98FELLOWの出荷を達成した後、引き続き後継機として2代目98FELLOWの開発が始まっており、更なる低価格化の切り札が求められていました。

 

パソコンの低価格化、コストカット

 

そこで、当時、欧米のパソコン大手向けのOEM生産(相手ブランドでの生産)でパソコン産業が成長しつつあった台湾からの海外調達に初めて踏み切ることとなりました。

 

93年当時は日本のパソコンメーカー大手は、部品レベルでは台湾からの調達を勿論していましたが、国内開発&国内生産が当たり前で、パソコン本体やマザーボードの海外生産・調達はどこも本格的には行っていませんでした。 ましてや台湾への設計込みの生産委託(ODMはまったく未知の世界でした。

 

台湾のパソコン産業が急成長をして、世界のパソコン工場と言われだしたのは90年代の後半からです。 台湾パソコン産業は90~92年の北米市場の不況による苦境や、コンパック・ショックなどアメリカのパソコン大手の低価格路線への転換により、自社ブランドによる欧米市場ビジネスの地盤を失いつつありました

 

93年頃の台湾パソコン産業は戦略を転換して、自社ブランドを諦め、欧米の大手PCブランド向けのOEM、ODMビジネスに特化をすることに奏功しつつあり、その後の95年以降の爆発的な成長をする前夜という状況でした。

 

今ではあまり知られていませんが、NECは海外市場向けパソコン(APCシリーズ)も80年代後半の随分と早い段階から手がけており、日本と北米で機種を分担する形で開発・生産をしていました。

日本ではPC98シリーズ、海外ではAPCシリーズの両方のビジネスを展開しており、総量効果を活かした東南アジアからの低価格の部品調達を行っていました。

その頃は、CPU、メモリ、HDD、CD-ROMなどは日本で買う方がまだ安い状況でしたが、電源盤やプリント基板、ケーブル類、KB、シャーシなどは東南アジア、とりわけ、台湾・香港エリアが日本よりも2割前後安くコスト的には魅力がありました。

その関係もあり、NECは台湾や香港からの低価格部品のサーベイや調達の機能を既に持っていました。

香港では低価格部品の発掘や部品・電源盤などODM、海外向けPCの一部OEM生産の仲介業務などを目的としてNEC現地法人が設立されており、また、国際資材部の海外事務所が台湾と香港にもあり部品調達業務や現地動向の調査などを行っていました。

そのような状況下で、2代目の98FELLOWは台湾で初のODMを立ち上げるトライをすることとなり、台湾へ調査団を派遣し、何社かサーベイしODM先候補を絞り込みすることとなりました。

これがその後、日本のパソコン大手で初の海外生産へ踏み切る最初の一歩となりました。

(参考資料:台湾パーソナル・コンピュータ産業の成長要因. ―ODM 受注者としての優位性の所在(著者:川上桃子氏)

 

海外ベンダーの選び方

 

次期98FELLOWの海外調達の挑戦とそのODM先の決定については、我々にとっても初めての経験であり、慎重に事を運びました。 

次のようなやり方やポイントで、どのベンダーが良いかの選定判断を行いました。

 

1.事前に見積もり合わせ結果を入手する
台湾と香港のODM候補各社に対して、現地訪問の前に、「サンプル・マザーボード」の見積もり合わせ資料(主な仕様(主要部品表、回路図、外形サイズ・プリント基板設計仕様)、調達量、質問表など)を提示して、事前に先方からの回答を入手してから、現地で質疑応答を行い確認する形式としました。

 

<判断方法>

各社の見積もり回答を横並びで比較する。 各社の回答内容から非常に多くのことが読み取れます。 単に価格の安い・高いだけではなく、そのベンダーの特徴、性格、組織力などが見積もり回答書から読み取れます。 
例えば、

    そのベンダーの我々の商談に対する熱意の程度

    部品レベルの価格積み上げリストから、その会社の技術&資材部の低価格部品サーベイの能力や価格の精度、技術部隊の回路を読む力、 など

    質問表に対する回答内容、やりとりの対応スピードの速さ、などからその会社の営業と技術の連携の良し悪し

 

2.ベンダーの主任エンジニアとダイレクトに話しをする

 各ODM訪問時には、今回の案件で主担当となるエンジニアと上司の技術マネージャーとの質疑応答の時間を設け、技術部のフロアと実験室も見学をさせてもらうこととしました。

 

<判断方法>

台湾のエンジニアとダイレクトに話をすることにより、そのベンダーのエンジニアのセンスの良し悪し、真面目かハッタリを言っているのか、スキルの程度など、ある程度の見極めができます。

例えば、最新のCPUやチップセットに通じているか、PC98アーキテクチャとPC/ATアーキテクチャーの違いの部分を理解できるか、生産技術にも詳しいか、などです。

 

この時、感じたのは台湾ベンダーのエンジニアの方が、香港のエンジニアよりも最新技術に詳しく技術センスが良いということでした。 英語能力も片言の私などよりも格段に優れていました。

 

聞いてみると、台湾はアメリカに留学した帰国エンジニアが既に結構多くいて、シリコンバレーなどともパイプがあり、当然ながら米国のPCの最新技術情報に貪欲でした。 アメリカ流儀の若いエンジニアが、2つ、3つの開発を常に掛け持ちで担当している(台湾では当たり前)とのことで、日本人エンジニアとの対比で「うかうかしておれないな」と感じたものです。

 

3.日本向けのビジネスをどれだけ重視しているか

これは我々にとっては国内と同じ製品品質を維持する上で重要でした。 台湾、香港のOEM,ODMベンダーはその成り立ちからしても、欧米重視の姿勢であり、日本向けのビジネスは「日本語」対応の営業や通訳の人材が必要となります。 また、日本のメーカーは「品質重視」、「工程重視」、「きめ細かい要求・管理」、「不具合に対する徹底した原因追及」をしてくるなど、ODMベンダーにとってもオーバヘッドが大きいからです。

93年当時は、製造品質については、台湾・香港(中国製)は日本と比べて、まだまだ不安が払拭できない面がありました。

<判断方法>
日本向けビジネスに本気で取り組む意向があるか。 日本メーカーとの付き合いの中で日本の製造技術、品質管理の良さを積極的に学び取り込もうとしているか。
工場見学の印象、ライン設備なども判断に入れます。

4.コスト目標がクリアできるか
コスト目標の達成ができる見通しがなければ意味がありません。
しかも最初だけではなく継続したコスト削減対応力の良し悪しが大きな判断ポイントになります。

<判断方法>
コスト見込みの細かい積み上げ方、打ち合わせで再見積もりを依頼しその迅速な対応力を見る、目標を達成するためのVE(原価低減)提案能力、加工費(製造・検査時間×時間単金)のベンダー比較、マージン、輸送費、一般管理費、初期開発費用 などのベンダー間の比較から総合的に判断をします。

また、その会社のPurchase(資材購買)部門の能力も、コスト再見積もりなどのやりとりを通じて、ある程度見えてきます。

以上のような現地サーベイを終え、日本へ帰国後もベンダー候補との何度かのやりとりを行い、社内の幹部への報告&承認を経て、

最終的に海外調達先を台湾で新進気鋭の中堅企業でマザーボードをメインビジネスにしていた「ECS社」に決定することとなりました。

 

 

Column

日本語の壁(1)
 

98FELLOWの海外調達サーベイで台湾・香港のODMを数多く訪問しましたが、台湾ODMとの打ち合わせでは、日本語インタフェースでも可能なところが多く、当時は英語があまり得意ではないエンジニアが多かった日本メーカーにとっては好都合ではありました。

 

台湾ベンダーも日本人が英語に強くない弱点を心得ており、日本とのビジネスを拡大するためにも、日本語が話せる台湾人スタッフを営業に置いている会社が多いからです。

(最近は、逆に日本の会社が中国人、台湾人や東南アジア人を雇っていないとビジネスができなくなっており、まさに逆転しています。)

 

日本語の壁


一方、欧米人とのビジネスを経験した方はご存知でしょうが、アメリカ出張時など彼らと打ち合わせする時は、当然の如く、英語でなければなりません。

 

例え、相手がアメリカの子会社の人間であっても、打ち合わせ場所が日本であっても、当然の如く早口の英語でまくし立ててくる相手とやりあわねばなりません。 なおかつ、電話やTV会議の時などは、相手のワーキング・タイムに日本側が合わせてやり、早朝や夜の時間に会社に居なければなりません。

 

従って、相当なエネルギーを消費し疲れることとなります。 自分の英語力が不十分である点は否めませんが、私などよりもよほど英語力が高く海外駐在が何年もある人でも、やはり、英語を母国語にしているディベート好きのアメリカ人と意見を戦わし、相手を論破し納得させるというのは相当に難しいようです。

 

アメリカ人との打ち合わせでは、「こん畜生! 日本語並みにべらべら喋れたらと臍をかんだ」ことも何度もありました。(一般のサラリーマンは同じような経験が多いのではないでしょうか。)

 

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