伝説のパソコン:98FELLOW物語(20)ー初の海外生産:第2世代98FELLOW
初の海外生産:第2世代98FELLOW
PC98シリーズとして初の海外(台湾)生産マザーボードを使用した第2世代98FELLOW(PC-9801BX2)は93年11月に発売されました。
(第2世代98FELLOW(PC-9801BX2)、1993年11月発売)
このPC-9801BX2の標準価格は17.8万円で、CPUを486SX/25Mとランクアップさせて、初代98FELLOWよりも4万円安い価格設定でした。
以前に述べたように、国内と台湾の併用生産で、出荷当初は国内生産100%でスタート(作り溜めや所要変動へのダイナミックな対応が必要なため)して、安定需要期に入った94年1月頃から、台湾製マザーボードを国内製とMIXして、ライフ総量では全体の約3割を台湾製マザーボードを使用する計画でした。
しかしながら、最初の1ヶ月は台湾製マザーボードの実力が判明するまでは、投入量を1割~1割半に意図的に抑制しました。(その時は、PC98シリーズとして初の海外生産マザーボードであり、「低コスト、かつ、国内製と同等の品質」が命題であり、慎重の上に慎重を期したからです。)
台湾ECS社で初の海外生産マザーボードの生産開始当初に、LSIのQFP(Quad Flat Package)のはんだ付け強度不足問題が発生し、NEC新潟の生産技術チームが1ヶ月間ほど立上げ指導でECS社に出張滞在し品質改善と製造品質を安定化させるため初期流動管理を行いました。
(長期出張したNEC新潟の生産技術チームとECS社のメンバー)
(台湾の生産委託工場地域)
台湾製の実力は問題なし
上記のように、台湾でのマザーボードの量産開始時に製造品質を安定化させるため台湾での初期流動管理を徹底しました。
さらに、台湾製マザーボードを市場に投入開始する前に、例の金科玉条の「互換性」評価を十分に実施し、生産ライン投入後も初期流動管理を念入りに行い、国内製と台湾製の工程不良率の比較や不良内容とその原因の比較も徹底しました。
また、フィールド出荷後の故障率比較もトレースすることとしました。
その結果、初めの購入ロットでは国内製に比べて、台湾製マザーボードは若干不良率が高かったが、以後のロットではSMTの半田付け微調整や検査習熟度向上などにより、国内製の品質に比べて、ほぼ同等で遜色はないというデーターとなりました。
また、1ヶ月後のフィールドの品質データーを見ても有意差はあまりありませんでした。
(これは予期した期待どおり結果でした、それは前回書いたように、国内設計品のノウハウ・造りこみ品質を維持したままで、現地で安い部品に切り替えて原価低減することを意図したからです。)
このようにして「台湾製の実力は問題なし」であることを確認し、2ヶ月目以降は投入量を計画どおりに、3割に増大させました。
第2世代98FELLOWのライフ総量は30万台前後だったと思うので、約9万台が海外生産ボリュームとなります。
仮に国内製マザーボードよりも原価低減額(オーバーヘッドなど差し引き後の実質的な原価低減額)が2千円とすると、適用台数が9万台ですから、総原低額は1.9億円と大きな額となります。
ライフ総量が大きい量販品は、10円、100円の原価低減が、しかも量産スタート時から適用し適用総量が大きな「塵積も」の原価低減・原価管理が如何に重要か、感覚的にお分かりになると思います。
(原価低減の意味でもフロント・フォーカスが非常に重要です。)
(日経新聞が98Fellowの台湾からの調達を報じた記事。1994/4/7の記事)
他社(IBM、富士通、日立など)のIBM/AT互換機勢は、IBM/AT互換機用の標準マザーボードを海外から購入すればよかったが、日本語を高速に処理できるのが強みのPC98アーキテクチャーのNECは設計仕様から海外で立ち上げる苦労がありました。
この初の海外生産チャレンジの成功を先駆けにして、遂に標準価格10万をきった第3世代98FELLOWや98MATEシリーズにおいても、海外生産比率が大きく拡大してゆくこととなります。
Column
パソコンと自動車とのビジネス特性の比較に関連して、「日本語の壁」の影響度の差が気になりました。
日本のパソコン企業で世界市場で大きなシェアを獲り成功している企業はどこもありません。 日本のパソコン企業も、結構早い時期の1980年代後半から北米市場などを始め世界市場に進出しましたが、一時的にはある程度の市場を取りましたが、結果的には撤退や譲渡や買収をされて存在価値を失っています。
一方で、日本の自動車産業は、トヨタの「売上高は初の30兆円台 」報道に象徴されるように、ホンダ、日産も含めて、世界市場でかなりの成功を収めています。
この差はどうしてなのか? 日本の自動車産業は「トヨタのカンバン方式」が、その強さの理由として、よく喧伝されますが、「カンバン方式」による生産力の強さだけで片付けるのはいかにも単純であり、それだけではない「自動車の商品特性」など、色々な背景があると思います。
日本のパソコン企業が何故、世界規模ではシェアを獲れなかったかの理由を挙げ、自動車の商品特性との比較から考えて見ました。
1)パソコンは言語を処理するツールであること
①日本国内では、「日本語処理の壁」に守られて国民機と言われたPC98アーキテクチャーは海外ベンダーの侵入を阻んだ。(参考:コンパック・ショック) (Windowsの出現によりこの壁ももろくも崩れてしまったのはご存知のとおりです。)
②一方で、日本企業が世界市場に出て行くには「多言語の壁」が大きかった。
日本語文化圏とは異なる海外市場での“言語処理ツールである”パソコンのビジネス競争にはどうしても言語や文化のハンディがつきまとうこと。
2)パソコンはインターネットにつながる情報処理ツールであること
世界の誰とでもつながるインターネットのツールとしてのパソコンは必然的 に共通のPCアーキテクチャー(PC/AT、WINTELなど)、ソフト/AP(WINDOWS、WORD、EXCELなど)がデファクト・スタンダードとなる。
上記より、パソコンは「オープン・アーキテクチャー」となり、標準化された規格や共通部品化が進む。 結果的にパソコン事業への参入障壁が低くなり、コモディティ商品化するとともに、グローバルな競争が激化して熾烈な価格競争が起きる。
自動車の商品特性と対比すると、自動車には「言葉の壁」はありませんし、ネットワークにつながる共通性を求められる情報処理ツールでもありません。 むしろ、他の車とは違う「個性」が売り物です。
デザインの好みや乗り心地などのテイストが重視されます。
つまり、自動車は色々なノウハウが「クローズド・アーキテクチャー」のままで良いことに、そのコア・コンピタンスの本質があります。
また、その企業のブランド価値もつけやすくなります。 「クローズド」であるが故に「カンバン方式」の本当のノウハウも意味を持ってきます。
また、車のカテゴリーも多種多様です。 GMやフォード、クライスラーのアメリカのビッグ3と日本の自動車メーカーは前者は大型車やトラック、後者は小型車が強いなど棲み分けの余地があります。
従って、過渡な価格競争に巻き込まれることもありません。(自動車が半値になったとか、年率2割、3割も下がるという話は聞きません。)
以上、自動車とは異なり、ネットにつながるパソコン・スマホなどのIT機器や言葉を使う装置・アプリ・プラットホーム」は日本企業が世界的に成功するためには「逆鎖国」の意味で「日本語の壁」が大きなハンディになり世界のグローバルトップ企業となる大きな壁になっているのではないでしょうか?
その自動車も自動運転やシェアリングサービスでネットとの蜜結合が必須の時代になり、トヨタ自動車の豊田社長が米バブソン大のスピーチで
「自動車業界は今、20年後にどのような車が走っているのかだれも予測できないほどの革命的な変化が起こっている」
と述べているように、
コネクテッドカー(つながる車)などの「CASE」(Connected(つながる)、Autonomous(自律走行)、Shared(共有)、Electric(電動)を意味する言葉)時代が本格到来し、ネットにつながるが故に激変期に入っています。
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