伝説のパソコン:98FELLOW物語(23)ー静かに去った98FELLOW

静かに去った98FELLOW

95年1月に第三世代98FELLOWをリリースした後、95年7月に最後の98FELLOWとなるPC-9801BX4を発表しました。

このBX4は第三世代のBX3のCPUを486DX2/66Mにランクアップし、オプションだったWindowsグラフボードを標準搭載して、標準価格は9.8万円のまま据え置きとして実質値下げをした第三世代のマイナーチェンジ強化機でした。

 

最後の98FELLOW

95年はWindowsプリインストールのパソコンが主流となり、米国で大きなヒットをしたWindows95の日本での発売待ち、Windows95プリインストールのオールインワン・パソコンの発売待ちに耳目が集まる状況でした。

 

 この最後の98FELLOW(PC―9801BX4)は、DOSパソコンでありながら、Windowsへのシステムアップも容易でお買い得でしたが、やはりパワーユーザ向け、DOSの2台目ニーズが中心でした。
 
時代はパソコンの大衆化、初心者向けオールインワン・パソコンへと転換をしていました。

もはや、98FELLOWはそれほど大きな注目を集めることはありませんでした。

そして、この95年を最後に98FELLOWは3年間の足跡を残して静かに消えていくこととなりました。

 

終わりに

 その時から20年以上が経過した今、まさに「十年一昔」、「ニ十年大昔」で変化の早さに驚かされます。

パソコンからスマホへシフト、誰もが持っているスマホ、SNS全盛、さらなる低価格化の進行、なんでもAI化、ビッグデータを制するものが世界を制する、車の自動運転、仮想通貨、ドローンで宅配ー―ー などなど、この20年の変化の激しさは予測もできませんでした。
次の十年の変化はさらに加速化すると思われます。

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また、当時の開発&生産部隊の変遷も激しいものとなりました。

PC98シリーズは、この物語の98FELLOWを開発したNEC新潟を始め、当時は5つの国内分身生産会社で分散して、国内主体の開発および生産をしていました。

その後、2001年にNEC新潟工場はリストラで売却され、当時の開発・生産部隊のメンバーの多くはちりじりとなり辛酸を味わいました。米沢工場と群馬工場を除く他の各地方分身会社は閉鎖されました。

さらに2011年にはNECはパソコン事業をついに実質的に中国のパソコンメーカー:レノボに売却し、パソコン事業(NECパーソナルコンピュータ)はレノボの子会社となり、現在は米沢工場と群馬工場の2拠点がNECパソコンの伝統を引き継ぎ頑張って継続しています。

98FELLOWは日本のパソコンの歴史の1ページに確かに足跡を残したパソコンでした。

それは次のような、その時代背景とパソコンの歴史の転換点において、また、その外部環境の変遷による開発部隊・生産部隊の有り様において。

-「パソコンの黒船」を迎撃した日の丸パソコン:98FELLOW

-低価格戦争の口火を切った伝説的パソコン:98FELLOW

-超短納期開発と低コスト開発の象徴的パソコン:98FELLOW

-PC98シリーズで最初で最後の9万円台パソコン:98FELLOW

-PC98シリーズの最後のDOSパソコン:98FELLOW

-PC98シリーズで初の海外ODMパソコン:98FELLOW

-パソコンの国内開発&生産が「旬の時代」のモニュメント的パソコン:98FELLOW

(98Fellow物語ー終り)

 

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