伝説のパソコン:98FELLOW物語(22)ーパソコン市場転換の年:1995年

パソコン市場転換の年:1995年

 第三世代98FELLOW(PC-9801BX3/BA3)は「低価格宣言。98FELLOW」と銘打ち、エントリー標準価格9.8万円で、95年1月に発表・出荷されました。 「国内大手のNECが遂に9万円台のパソコンを販売開始し、パソコンも遂に標準価格でも10万円を切る時代になった」と大きな話題になりました。 

売れ行きの伸びも95年前半は好調に推移しました。

 

しかしながら、それは結果的に消えゆく運命にあるDOSパソコンの最後の輝きにも似たものでした。

時代は「DOSからWINDOWSへ」の転換がはっきりとして、95年後半からはWindowsプリインストール・パソコンが主戦場となっていきました。

95年はWindowsパソコンが大きく花開いた年で、95年7月に米国でWindows95が発売され、4ヶ月遅れの95年11月には日本でもWindows95が大々的に発表されました。

Windows95はWindows3.1に比べて、分かりやすいGUI(グラフィックユーザーインターフェース)やマウスによる使い勝手の改善、32ビットプロテクトモード・カーネルによるマルチタスク化(アプリが複数同時に動かせること)、ネットワーク時代を意識したTCP/IP(インターネット化)などネットワーク機能強化が行われたOSで、今につながるWindowsOS全盛の実質的な元祖となったバージョンでした。

このWindows95は発売前からマイクロソフトの大掛かりな宣伝や各メーカーとのタイアップ効果もあり、95年11月23日の深夜零時の秋葉原や大阪の日本橋の量販店でのWindows95の発売開始で長蛇の列ができ大きな盛り上がりを見せました。マスコミでも社会現象として話題となったので、ご記憶の方も多いと思います。(私もこの時、応援で秋葉原に駆り出されていてその時の喧騒を目の当りにしました。)

 

Windows95発売の秋葉原
(1995年11月23日の秋葉原でのWindows95の発売開始時の盛り上がり)

 

(秋葉原がパソコン街として絶頂だったWindows95 販売時の熱気ーYouTube動画)

 

この1995年が次のような意味で日本のパソコン市場が大きく転換した年となりました。

 

1995年がパソコン市場転換の年となった意味

・パソコンは一家に一台へ、企業では1人1台のネットワーク化へ

・パソコン通信時代からインターネット時代への幕開け

・パソコンはマニア、パワーユーザーから一般化、ホームユースへ一気に広がり

・DOS(初期のパソコンの動作ソフト)からWINDOWS普及の時代へ、

・テキストベースからグラフ、マルチメディア、GUI(グラフィックユーザーインタフェース)ベースの時代へ

・日本語処理の壁をWindowsが打ち破り、CPUやグラフの高性能化と相俟ってソフト処理で必要十分な日本語処理能力を発揮、PC98アーキテクチャーの優位性が消滅、グローバルな競争が本格化

・PCアーキテクチャーはWINTEL(パソコンのOSはWindows、CPUセットはインテル製)の寡占化へ、オープン・アーキテクチャー、デファクトスタンダードの時代へ

・95年から飛躍的なパソコン出荷台数の伸びとモデル数拡大、低価格化が始まります。

(表)93年~96年の日本のパソコン市場推移とPC9800シリーズの推移

  93年  94年 95年 96年
国内出荷台数(万台) 238 335 570 710
国内出荷金額(億円) 7,169 9,249 13,916  17,506
平均単価(万円)  30.2 27.6 24.4 23.8
PC98出荷台数(万台) 132 179 300 350
PC98新製品モデル数 21 26 37 45

            

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・マルチメディア・パソコン(モニター一体型でTVチューナー内蔵モデル)やオールインワン・パソコン(モニター付き、Windowsとワープロ・表計算ソフトのプリインストールされたパソコン)が出現、ホームユースとして人気となる。

※PC98シリーズでは、マルチメディア・パソコンとして「CanBe」が94年後半に誕生し、オールインワン・パソコンとして「ValueStar」がWin95発売と同期して、95年11月に産声を上げている。

このように、時代が転換しているなかで、第3世代98FELLOWはDOSパソコン(*)でありながら、WINDOWSアップグレードキットをプリインストールしたWindowsモデルも定義をしていました。
(*)DOSはWINDOWSの前世代のOSを搭載。 DOSパソコンはパソコンに作業をさせるために、キーボードから命令文(コマンド)を入力しなくてはなりませんでした。

つまり、この時から、実はWindowsモデルとしての性格も部分的に持っていました。
(Windows対応モデルのPC-9821シリーズのエントリーとバッティングする恐れもありました。PC98シリーズでは、93年1月の98MATEの誕生から型番を「PC-9821-XX」として、9821シリーズをWindowsモデルと定義、「PC-9801-XX」型番の98FELLOWをDOSモデルと位置づけしていました。)

Windowsモデルであれば、勿論DOSも動かすことができる訳であり、Windowsモデルが主力モデルとなるにつれて、98FELLOWのDOS専用モデルとしての位置づけは、その存在価値が失われつつありました。

 

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