伝説のパソコン:98FELLOW物語(3)ーコストと納期の壁
コストと納期の壁
緊急会議の後、急ぎ実現仕様を検討し、新98FELLOWの仕様と価格はコンパックの最安値モデルProLinea386/25MHz(12万8千円)に十二分に対抗できるように、
・98FELLOWは486CPU採用して2モデル投入
①下位エントリーモデル:9801BXは、ProLinea386/25より上のCPU486SX/20MHzを採用し、エントリー標準価格は21万台(店頭実売価格は約7割の14万円台)とする。
② 上位モデル:9801BAは486DX2/40MHzを採用し標準価格は32万円台とする。
③98FELLOWはDOSマシンとしてビジネスユースに必須でないFM音源やスピーカー機能は削除し低価格化を図る。但し、拡張ボードでFM音源ボードやグラフ・アクセラレータなどのオプションやHDDの増設可能としてWindowsへのアップグレード・パスも提供する
・発表・出荷は翌年の1月中旬を必達とすることが決まりました。
●超短納期の壁
当時のパソコン業界の新製品の発表の旬のシーズン(ホット・シーズンとも言った)は年3回の1月、5月、10月でした。(現在もほぼ同じ、7月に一部機種のマイナー投入もあり)
従って、コンパック迎撃機を出すタイミングは1月が必須、かつ宣伝効果を考えるとFELLOWとMATEは同時発表で他の新製品より先頭を切って発表することが重要でした。 しかしながら、「開発期間は実質2ヶ月」という難題をクリアする必要がありました。
当時の、各分身会社の開発部はそれぞれ4~6機種/年間の新製品を開発しており、1つの新製品の開発期間は標準で5ヶ月前後でした。
「開発期間2ヶ月」は標準の2.5倍ものSpeedでやり遂げる必要がありました。
●コストの壁
エントリーの9801BX/U2の目標標準価格は21万円台(最終的に21万8千円で決定)は、当時の店頭実売価格は標準価格の70~75%程度でしたから、BX/U2の実売価格は14万7千円~15万7千円となります。
コンパックの386CPUに比べて、486CPUを採用した優位性もあり競合可能、また、ユーザーに評価されていた98の旧製品との互換性保障の安心度やNECの全国ネット販売力からも十分対抗できるとの考えでした。
しかしながら、1年前に発売した旧機種のPC-9801FA(486SX/16)は標準価格が45万8千円でしたから、新98FELLOWの設定価格の21万円(実売価格17万円)は半値以下の厳しい価格目標であり、CPUやメモリなど調達部品の値下がりがあるにしても、徹底した原価低減設計をしないと売るほどにビジネスインパクトが増える恐れさえありました。
納期は神様
「納期」とは新製品の出荷開始日のことですが、この年3回のホットシーズンに新製品リリースの納期を守ることは我々にとっては「神様との約束事」のような大命題でした。
というのは、ホットシーズンには各社から新製品が一斉に発表、出荷されます。マスコミで取り上げられ、専門誌には新製品レビューや比較記事が多数掲載され、宣伝効果が高まり、新製品の認知がされやすいのです。
他社がホットシーズンの何日に発表するのか、先陣を切って発表するか、他社の発表内容を待って発表するか(自社の発表内容を練り直す)、なども販売戦略として重要な関心事でした。
この時はコンパックショックの影響を最小限に食い止め早く新シリーズを打ち出すために1月の早い時期に新シリーズ(98FELLOW、98MATE)を発表・出荷することが決定されました。
●出荷開始日=5千台の作り溜め完了日&初ロット(1月)2万台
主力新製品の発表・出荷開始日には、日本全国のパソコン量販店の陳列棚には新製品がどっと展示されていて、お客様に直ぐに買ってもらえるようになっていることが大原則でした。
買いたいときに「新製品」を見て気に入れば直ぐに持って帰りたいというのがユーザー心理です。新製品が順調にテイクオフするためには、出荷開始日の数日前には全国の主要なパソコン販売店の倉庫には新製品がある程度在庫されているというのが必要条件でした。(現在もそうだと思いますが)
98FELLOWは93年1月17日に発表・即出荷となりましたが、前述の出荷前に5千台規模の作り溜めをするための生産期間は最短で頑張っても約2週間は必要であり、これを差し引きすると、量産機の開発評価は12月末には完了させて生産部隊に量産移管をする必要があります。
「量産移管」とは、開発部隊から生産部隊へ「出荷可能な量産品としての開発・評価がすべて完了しました、技術部からリリースする生産ドキュメント(部品表、組み立て図・検査仕様書など)で量産を開始してください」を宣言する意味です。
92年10月末から実開発をスタートして12月末に量産移管するまで2ヶ月しかありません。
まさにこの時期はNEC新潟の開発部隊および生産部隊にとってはホットなシーズンでした。 また、98MATEを担当したNEC群馬も同様な状況でした。
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