パソコンの生産革命:PC-98BTOの事始め(第1章-2)ーBTOが必須だった理由

何故、BTOプロジェクトが必須だったのか?

NECのパソコン事業部は97年5月に緊急にBTOプロジェクトを立ち上げることとなりました。

BTOプロジェクトの経緯を紹介する前に1996年~1997年頃のNECのパソコン事業の置かれた状況を概観し、何故BTOプロジェクトが必須だったのかを振り返っておきます。

パソコンの第三の黒船とも言える「デル・ダイレクトモデル」が1997年3月に日本に上陸しましたが、1997年当時の日本市場におけるデルのシェアは微々たるもので、まだ日本では大きな脅威とはなっていませんでした。

1996年~1997年当時のNECにとって実質的な脅威は富士通、東芝、IBM、AppleなどのPC/AT互換機メーカーによるシェアの侵食でした。

1995年のパソコンの第二の黒船:Windows95の発売以降にインターネットの普及とパソコンの低価格化とコモディティ化が一気に進みました。
Windows95の出現がそれまでのNECのPC9800アーキテクチャーの強み(日本語処理に強い、豊富な98用アプリ、サードパーティの拡張ボード・周辺機器など)が薄れ、PC/AT互換機メーカーが世界標準と低価格を武器にシェアを大幅に伸ばすきっかけになりました。

表1に示すように1993年からパソコンの出荷台数は年々大きな伸びを見せ、Windows95が販売された1995年は前年比で54%増の急拡大をしています。1996年以降も価格は毎年下がりつづけ、ホームユースへ一気に広がり個人向け市場が大きく伸び、1999年には出荷台数が遂に1,000万台を突破しています。

市場の出荷台数は急拡大している一方で、表2にあるようにNECのシェアはパソコン国民機と言われた1990年頃のシェア・ダントツの50%超から1996年にはシェア33%まで急降下しており、1997年のNECのパソコン事業は戦略的にも経営的にも大きな曲がり角を迎えていました。

表1:日本のPC市場出荷台数推移 (1991年~19996年)

1991 1992 1993 1994 1995 1996
出荷台数(万台) 230.9 220.7 323.3 447.9 691.9 866.4
前年比伸び率(%) -3% -4% 47% 38% 54% 25%

 

表2:日本のPC市場メーカー別シェア推移 (1991年~19996年)

シェア(%) 1991 1992 1993 1994 1995 1996
NEC 52 52 49 43 40 33
富士通 8 8 7 9 18 22
東芝 9 6 6 4 4 6
エプソン 9 7 6 5 3 N.A
IBM 7 8 7 10 10 11
Apple 6 9 10 13 14 10
Compaq N.A N.A 2 4 3 3
その他 8 9 10 12 10 10

(原出典:IDC Japan)

そこでNECはPC/AT互換機メーカー勢に対抗するために商品戦略の大転換と生産流通戦略の大変換を決断しました。

・商品戦略
PC/AT互換機の後継規格のPC97規格とPC98規格をベースにした新シリーズ「PC-98NX」を1997年10月に投入することを決定しました。
従来シリーズのPC-9800シリーズも既存ユーザーのために存続させるため商品ラインアップは大幅に増えることになりました。

新旧の両シリーズを投入するため開発&販売コストも大幅に増えますが、多くのPC-9800シリーズユーザーのために互換性が金科玉条のNECにとっては必要な商品戦略でした。

・生産流通戦略
PC-98NX新シリーズの投入で商品ラインは大幅に増えるということはそれだけ生産は多機種生産で複雑になり、無駄な部品や在庫が大きく増える(鮮度ロス)リスクがあります。
生産の最適化・効率化が必要となり、流通面では無駄な流通在庫を削減し流通コストのミニマム化が必須となります。

そこで、生産・流通コストを削減し価格競争力を高めるための切り札として
「BTO(受注生産方式)」の本格導入
を決め、PC-98NX発売の1997年10月に合わせて、大特急でまずは企業向けのPC-98NXから、BTO(受注生産方式)を全面採用することになりました。

つまり、何故BTOプロジェクトが必須だったのか?、
それは、新シリーズのPC-98NXの価格競争力を高めるために、生産コストと流通チャネルの鮮度ロスを徹底的に削減し、パソコン事業の生き残りのためコスト競争力を大幅に高めることが必須だったからです。

 

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